「ルーヴル美術館展 愛を描く」 国立新美術館

アート|2023.4.20
坂本裕子(アートライター)

ルーヴルの名品に、多様な「愛」の表現を見る

 「ルーヴルには、愛がある。」

 こんなキャッチコピーを掲げて、いま東京・国立新美術館で「ルーヴル美術館展 愛を描く」が開催中だ。

 もうひとつ、このキャッチコピーには仕掛けがある。

 「LOUVREには、LOVEがある。」

 まさにその名のなかに「愛(L・O・V・E)」を含んだ世界三大美術館のひとつ、ルーヴル美術館の膨大なコレクションから、選りすぐりの73点の名画で、西洋絵画における「愛」の表現を追う。

 「愛」は、古来、西洋美術の根幹をなすテーマのひとつ。
 人間の男女の愛はもちろん、親子の情、友への想いに、古代ギリシア・ローマの神話に登場する神々の情熱や欲望、そして神が人間に注ぐ愛と、人間が神に寄せる信仰としての愛まで、実に多様だ。
 それらは、穏やかに、雄大に、ロマンティックに、情熱的に、官能的に、敬虔に表されると同時に、切なく、哀しく、苦しく、痛々しく、恐しくも描き出される。

 本展では、16世紀から19世紀半ばまでの西洋各国の主要画家による名画で、この愛の多様な姿を見ていく。
 ジャン=オノレ・フラゴナールの代表作《かんぬき》の26年ぶりの来日をはじめ、ルーヴルが誇る巨匠の傑作から日本初公開の作品も含め、そこには新しい魅力や作品へのアプローチ、なじみのないテーマや画家など、出会いと発見が満ちている。また、中世から近代にかけての西洋絵画の表現の変遷やフランスにおける受容の姿も浮かび上がってくるだろう。

 ヨーロッパにおける文化は、古代ギリシア・ローマとキリスト教のふたつにその源流をたどることができる。
 さまざまな神が躍動する古代神話と一神教であるキリスト教、相容れない神の定義ながら、ルネサンス以降、このふたつは多様な距離感を持ちつつ、絵画に表されてきた。

 人間が持つ根源的で複雑な感情を「愛」と定義したとき、それはもっとも描くにふさわしいテーマとして造形や図像に展開する。
 ギリシアの哲学者たちは愛の概念をいくつかに分類した。そのひとつが、わたしたちが最初に思うであろう愛、エロス(性愛・恋愛)だ。ギリシア神話ではエロス、ローマ神話ではキューピッド、あるいはアモル(Amor)が愛を司る神とされ、この神が射る矢に心臓を貫かれた時に愛が生まれる。

 一方、旧約聖書では、神は最初の人間アダムを土くれから作り、そのあばら骨から最初の女性エバを作って夫婦としたとされる。あくまでも子孫繁栄のためであり、そこに愛の要素は記されていないが、画家たちはしばしば、キリスト教の道徳観にのっとった理想の愛の情感を彼らにまとわせた。

 プロローグ「愛の発明」では、このふたつの文化における愛のはじまりを象徴する作品が展覧会へと誘う。

左:フランソワ・ブーシェ 《アモルの標的》 1758年 パリ、ルーヴル美術館
Photo © RMN-Grand Palais (musée du Louvre) / Gérard Blot / distributed by AMF-DNPartcom
右:「ルーヴル美術館展 愛を描く」展示風景から
18世紀フランスのロココ時代を代表する画家ブーシェの大きな一作は「神々の愛」をテーマにした連作タペストリーの原画のひとつ。ヴィーナスの息子で愛の神アモルが放った矢で心臓を射抜かれると愛が生まれるという古代神話にのっとり、ここでは月桂冠を掲げるアモルの存在が、道徳的に正しい愛が生まれたことを示す。地上では、愛が芽生えて、もはや不要になった矢を燃やしている。
ピーテル・ファン・デル・ウェルフ 《善悪の知識の木のそばのアダムとエバ》 1712年以降 パリ、ルーヴル美術館
Photo © RMN-Grand Palais (musée du Louvre) / Franck Raux / distributed by AMF-DNPartcom
旧約聖書「創世記」のアダムとエバは、楽園で幸せに暮らしていたが、蛇にそそのかされたエバが、神から食すことを禁じられていた知恵の実(リンゴで表されることが多い)を食べ、アダムにもうながす。これにより、全裸でいることに恥じらいを覚えたふたりは、神の怒りに触れ、楽園を追放される。原初の罪のエピソードは必ずしも「愛」を語らないが、絵画では本作のようにキリスト教の道徳観に則した夫婦の愛を感じさせる作品も描かれた。

 ギリシア・ローマ神話の愛の神の矢で射られた者は、その直後に見た人物に恋することはよく知られている。「見ること」によって愛がはじまり、そこに欲望が生まれるのだ。
 神話における欲望は相手のすべてを所有したいという強烈なもので、神さまでも人間でも、その行動は強引とも思える手段を取ることが多い。
 絵画では、その戦略が男女で描き分けられる。男性は、その身体の強さを強調するように掠奪や誘拐のシーンが描かれる。女性の場合は、容姿や性的な魅力、あるいは魔力や妖力、策略を用いて相手を誘惑する物語が画題とされた。

 第1章「愛の神のもとに――古代神話における欲望を描く」では、古代の神々や人間の「まなざし」を通した欲望や、その欲望を満たすための激しい行動に、性愛の表象をたどる。

アントワーヌ・ヴァトー 《ニンフとサテュロス》 1715-1716年頃 パリ、ルーヴル美術館
Photo © RMN-Grand Palais (musée du Louvre) / Stéphane Maréchalle / distributed by AMF-DNPartcom
自然の精であるニンフと、人間の身体に山羊の脚を持つサテュロスのエロティックなシーンは、古代より発し、ルネサンス以降もティツィアーノ、ルーベンス、ヴァン・ダイクなど著名な画家によって描かれてきた。眠るニンフのヴェールを持ち上げ、その裸体を見つめるサテュロスのまなざしは「欲望の愛」を露わにする。ニンフの輝くような白い裸体とサテュロスの褐色の肌の対比がそのエロスをなお強める。ブーシェ、フラゴナールと並びフランスのロココ時代の巨匠ヴァトーの作。
セバスティアーノ・コンカ 《オレイテュイアを掠奪するボレアス》 1715-1730年頃 パリ、ルーヴル美術館
Photo © RMN-Grand Palais (musée du Louvre) / Mathieu Rabeau / distributed by AMF-DNPartcom
ギリシア・ローマ神話における、神々による人間の女性の誘拐のシーンは、大神ゼウスを筆頭にルネサンス以降の神話画の定番だ。暴力や掠奪によって自身の欲望を満たそうとする男性のひとつの愛の表現として享受されてきた。18世紀イタリアの画家による本作は北風のボレアスが川辺でニンフたちと遊んでいた王女を力づくで連れ去る場面を描く。
ドメニキーノ(本名 ドメニコ・ザンピエーリ) 《リナルドとアルミーダ》 1617-1621年頃 パリ、ルーヴル美術館
Photo © RMN-Grand Palais (musée du Louvre) / Martine Beck-Coppola /distributed by AMF-DNPartcom
こちらは17世紀のイタリアの画家が、人間の若者に恋した魔女の愛を描く。イタリアの詩人による第1回十字軍のキリスト教徒の騎士たちの冒険物語から、イスラム教徒の魔女アルミーダが、敵方である騎士リナルドに恋してしまい、魔力で彼を誘拐して自分の宮殿に運ぶという、当時人気を博したエピソードが主題。宮殿の庭園で睦みあうふたりが表されている。女性は自身の容姿や罠、魔術といった手練手管で男性を誘惑する。茂みの向こうには彼を探しに来た兵士が描かれているといわれるが、どちらかというと覗き見ているようにも……?

 こうした神話上の愛は、結婚というハッピーエンドの物語もありながら、絵画にされたのは、多くが恋人を失ったり、許されぬ恋にふたりとも死に至る悲劇の結末であることが見てとれるだろう。悲恋が人の心を動かすのは、現代でも同じだ。
 悲しい場面だけではなく、愛の神アモル(キューピッド)をモチーフとした装飾的な作品もあるので、王侯貴族の豪華な宮殿や邸宅を飾っていた、いたずら好きな彼らのかわいい姿も楽しんで。

16世紀後半にヴェネツィアで活動した画家 《アドニスの死》 1550-1555年頃 パリ、ルーヴル美術館
Photo © RMN-Grand Palais (musée du Louvre) /Tony Querrec / distributed by AMF-DNPartcom
美の女神ヴィーナスが愛した美青年アドニスの悲恋は、ルネサンス以降の西洋絵画でもっとも好まれた画題のひとつ。ヴィーナスの懸念を無視して危険な狩りに出たアドニスは、イノシシに突き殺されてしまう。ここでは画面中央に極端な遠近法で死んだアドニスが描かれ、そばではショックのあまり気を失ったヴィーナスが三美神のひとりに支えられている。残るふたりの女神はアドニスを抱き起こし、布で遺体を覆わんとしている。遠景でアドニスを突いたイノシシをアモルたちが矢で痛めつけているのがちょっとおもしろい。ドラマティックな人物の配置や青と赤の衣装の対比などに、16世紀ヴェネツィアの巨匠ティントレットの影響が指摘される。
「ルーヴル美術館展 愛を描く」第1章 展示風景から
「ルーヴル美術館展 愛を描く」第1章 展示風景から
右は第1章から第2章の部屋を望む。

 キリスト教における愛では、何より信仰という名の神へのそれが挙げられるが、ほかに非常に重要な位置を占めたのが、孝心をはじめとした親子愛だという。それは、愛する者のための自己犠牲として見いだされ、ギリシア・ローマ神話における愛とは対極といえる。
 また、16世紀に興った宗教改革により、プロテスタントでは聖人の姿を眼に見える形にすることが否定されたが、巻き返しを図るローマ・カトリック教会では、こうした図像が積極的に使用される。なかでも聖母マリアと幼子イエスを中心とした「聖家族」の絵画は、人間の親子愛を感じさせる温かみのある表現が増え、信仰者自身の家族を重ねるように享受されていく。
 また、キリストの磔刑に帰着する受難の物語は、父なる神が人類救済のために我が子(キリスト)を犠牲にする、人間に対する神の愛に結びつけられ、迫害されて処刑された聖人たちの殉教は、神への愛のためなら死をも厭わないという究極の姿ととらえられた。

 第2章「キリスト教の神のもとに」では、キリスト教絵画における愛の表象を追っていく。
 キリスト教にあまりなじみのない日本人には、西洋絵画における宗教画はとっつきにくいと感じられることが多いかもしれないが、愛というテーマで見ていったとき、それらはもう少し共感できるものになるはずだ。

シャルル・メラン 《ローマの慈愛》、または《キモンとペロ》 1628-1630年頃 パリ、ルーヴル美術館
Photo © RMN-Grand Palais (musée du Louvre) / Tony Querrec / distributed by AMF-DNPartcom
若い女性の乳房に吸い付いている老人の姿にぎょっとするかもしれないが、これは西洋ではよく知られる親孝行の図だ。古代ローマの著述『著名言行録』(1世紀)のなかの逸話に基づいている。牢獄で処刑を待つ身であるキモンが食べ物も与えられずにいるところに、娘ペロが獄中の老父を訪ねてひそかに授乳して栄養を与えた。孝心の模範として古代美術で表され、その後16世紀以降の美術で再び取り上げられて、キリスト教の慈悲を表す図像としても定型となっていく。メランは17世紀フランスの画家。当時芸術の中心地であったローマで主に活動した。
サッソフェラート(本名 ジョヴァンニ・バッティスタ・サルヴィ) 《眠る幼子イエス》 1640-1685年頃 パリ、ルーヴル美術館
Photo © RMN-Grand Palais (musée du Louvre) / Stéphane Maréchalle / distributed by AMF-DNPartcom
幼子イエスを抱く聖母マリアの図像は、ルネサンス以降もっとも多く描かれた宗教画のひとつだろう。理知を感じさせつつも健やかに眠るイエスを抱く母は、愛おしそうに頬を寄せるが、その表情はのちの我が子の運命を想ってか憂いを帯びている。17世紀のイタリアの画家による、キリスト教の愛に人間の親子の愛を重ねた優しく美しい聖母子像は人気を博し、多くの作例が遺されているという。
ウスターシュ・ル・シュウール 《キリストの十字架降架》 1651年頃 パリ、ルーヴル美術館
Photo © RMN-Grand Palais (musée du Louvre) / Gérard Blot / distributed by AMF-DNPartcom
人類の罪を贖うために磔刑に処されたキリストを十字架から降ろす場面を描く十字架降架もキリスト教絵画ではよく描かれる主題だ。ここでは人間に対する神の愛を読みとれる作品として紹介される。こちらは17世紀フランスの古典主義様式を極めた画家による作品。安定した構図、明確な輪郭線、バランスの取れた明快な彩色で、聖書の記述に従って人物が配置される。人びとの悲しみの表現を通して神の愛を伝える一作。

 品行方正な愛(?)だけではなく、マグダラのマリアのように、深い法悦による忘我の境地に至り神と一体となる神秘体験を描いた作品などでは、その恍惚とした表情に官能性が感じられる作品も描かれており、本展ではそれらも見ることができる。

「ルーヴル美術館展 愛を描く」第2章 展示風景から

 18世紀にはいると、神々ではなく、人間の欲望としての愛が多く描かれるようになる。

 オランダで発達した風俗画では、身分や年齢を問わず、卑俗なものも含めてさまざまな男女の愛の諸相が表された。
 酒場で顔を寄せ合う庶民の男女、愛を金銭で取り引きする若者と取り持ち女、上流階級を感じさせる室内で展開される微妙な男女のコンタクトや恋の予感など。そこには、ちょっとした人物の身振りや室内の調度に、性愛の寓意が込められている。

ハブリエル・メツー 《ヴァージナルを弾く女性と歌い手による楽曲の練習》、または《音楽のレッスン》 1659-1662年頃 パリ、ルーヴル美術館
Photo © RMN-Grand Palais (musée du Louvre) / Tony Querrec / distributed by AMF-DNPartcom
17世紀後半のオランダで隆盛した室内風俗画のなかでも、音楽を奏でる男女の姿は流行した画題だ。そこにはたいていの場合、愛の寓意が込められている。アムステルダムで活躍した画家メツーの一作も、裕福な階級の女性がヴァージナルを弾くその背後に男性が立っている。恋人同士の音楽を通じた心の対話か、はたまた演奏を学んでいる先生との禁断の恋か……。さりげなく椅子の背に回された男性の手や、ともに見つめる楽譜への視線の重なりに、さまざまな愛の物語を読みとりたくなる。
サミュエル・ファン・ホーホストラーテン 《部屋履き》 1655-1662年頃 パリ、ルーヴル美術館
Photo © RMN-Grand Palais (musée du Louvre) / Michel Urtado / distributed by AMF-DNPartcom
17世紀オランダの画家で美術理論家としても知られるホーホストラーテンは、精緻な遠近法のなかに、3つの戸口が重なった室内を描き出す。見る者の眼は自然と奥の部屋へと誘われる。そこには住人の生活を感じさせる要素や気配はありながら、人の姿はない。どこかシュールで不思議な感覚は、床に脱ぎ捨てられたように散らばる部屋履きや扉に差し込まれたままの鍵束に気づいたとき、どこか隠微で怪しい雰囲気をとらえはじめる……。密やかなエロティシズムを漂わせた作品には誘惑の愛が見いだせるかも。
「ルーヴル美術館展 愛を描く」第3章 展示風景から

 一方、フランスの宮廷では、アントワーヌ・ヴァトーにより確立された「フェット・ギャラント(雅なる宴)」のジャンルが大流行。理想的な自然のなかで貴族たちが会話やダンスを楽しみながら誘惑の駆け引きに興じる場面が人気となる(実際に行われてもいたようだ)。これらは明るく軽やかな画面に描かれて、ロココ時代としてフランスの宮廷文化を象徴する。

ニコラ・ランクレ 《鳥籠》 1735年頃 パリ、ルーヴル美術館
Photo © RMN-Grand Palais (musée du Louvre) / Michel Urtado / distributed by AMF-DNPartcom
18世紀フランスの上流階級の間では、理想化された田園で繰り広げられる羊飼いや農民の恋を綴った「パストラル(田園詩)」が流行する。彼らは庶民の衣装で仮装し、自然のなかで物語を演じる遊戯に掛けて恋愛の駆け引きを楽しんだ。ヴァトーと同時代の画家ランクレによる本作は、こうした文学や戯曲に彼らの姿を反映する。豊かな森のなかで演劇衣装を着た男女が見つめ合う。女性は1羽の鳥が入った鳥籠を持っている。当時若い女性が鳥籠を持つ図像には、恋のとりこになるという寓意が込められている。伝統的に鳥のモチーフはエロティックな意味を持ち、飛び立つ鳥は失恋を、その死は処女喪失のメタファーとして用いられたそうだ。
フランソワ・ブーシェ 《褐色の髪のオダリスク》 1745年 パリ、ルーヴル美術館
Photo © RMN-Grand Palais (musée du Louvre) / Tony Querrec / distributed by AMF-DNPartcom
当時トルコ風と呼ばれていたソファに腹ばいになり、臀部を露わにした女性が誘うようにこちらを見つめる。まさに秋波といえるその媚びと無防備で挑発的な姿は、見る者がうろたえるほどにエロティックさを極めている。さぞかし当時の男性の欲望を掻き立てたことだろう。18世紀のヨーロッパ人がイスラムのハーレム(後宮)に抱いていたイメージを敷衍して、ブーシェは官能美を追求した。青い布の上の肉付きのよいバラ色の裸体は、シーツで一部が覆われることでなおその露出が強調される。ロココ絵画のエロスの到達点ともいえるルーヴル美術館が誇る一作。
ジャン=オノレ・フラゴナール 《かんぬき》 1777-1778年頃 パリ、ルーヴル美術館
Photo © RMN-Grand Palais (musée du Louvre) / Michel Urtado / distributed by AMF-DNPartcom
フラゴナールの代表作で、フランス絵画の至宝とされる本作は26年ぶりの来日。上流階級の恋の駆け引きを軽やかに描きだすロココ絵画の流れのなかで、ドラマ性と緊張感、そこからあふれるエロティシズムが異彩を放つ名作だ。顔を寄せる男性の顎を押さえ、顔を背けつつも流し目の女性は、本当に彼を拒もうとしているのか……。閂(かんぬき)がかけられたこの瞬間、次の情景はおのずとそばのベッドへと向かうだろう。閂には男性性器が暗示され、左隅の壺とバラの花は女性性器と処女喪失を暗示するという。サイドテーブルにはリンゴが置かれ、そこからはアダムとエバの原罪が連想される。愛の戯れなのか、危険な関係を示すのか、はたまた道徳的な警告なのか……。多様な解釈の可能性が見る者を魅了する。
「ルーヴル美術館展 愛を描く」第3章 展示風景から

 第3章「人間のもとに――誘惑の時代」では、こうしたある意味で等身大の人びとの性愛の表現を楽しむ。

 ちょっと怪しい男女の姿や危険な関係、露わなエロティシズムにドキドキする18世紀絵画の愛の姿のほかに、世紀後半には、夫婦間や子どもへの愛情や絆の理想的な姿を描く作品も生まれてくる。ここには、啓蒙思想の普及やブルジョワ階級の核家族化などから、結婚観や家族に対する考え方が変化していったことが感じられる。

ギヨーム・ボディニエ 《イタリアの婚姻契約》 1831年 パリ、ルーヴル美術館
Photo © RMN-Grand Palais (musée du Louvre) / Mathieu Rabeau / distributed by AMF-DNPartcom
フランスに生まれた画家は27歳の時にイタリアを訪ね、その風俗に魅せられたという。ここに描かれるのは、ローマ近郊の裕福な農民の婚姻の契約の場面。公証人が契約書を書いているなか、新郎はまっすぐに花嫁を見つめ、新婦は母に手をあずけ、慎ましやかに目を伏せている。道徳的な愛の契約を表しているのかと思いきや、奥にいる新婦の父の視線は、宴の場を用意している召使いに注がれている。聖俗の愛が交錯する作品には、この一家への画家の愛も感じられてちょっと楽しくなる。

 1789年、フランス革命により王政は瓦解、身分制度が廃されたフランスでは、身分や家柄といった条件ではなく、互いの愛情に基づく結婚観が醸成されていく。意識の転換期であった18世紀末には、自然のなかで若者たちが愛を育むロマンティックで牧歌的な恋愛物語が、文学や美術で流行する。
 また、成熟していない若者の両性具有的な身体がしばしば男性裸体の理想美としてとらえられ、ギリシア・ローマ神話における男性同士の愛の物語も絵画のテーマになっていく。
 こうした物語は、普遍性や理性よりも個人の主観や感情を重視したロマン主義の画家たちによって、その純粋さや情熱ゆえに破滅的、悲劇的な結末を迎える愛としてドラマティックに描かれた。

クロード=マリー・デュビュッフ 《アポロンとキュパリッソス》 1821年 アヴィニョン、カルヴェ美術館
Photo © Avignon, musée Calvet
太陽の神アポロンが愛でた美少年キュパリッソスは、黄金の角を持つ牡鹿をこよなく愛し、いつも一緒にいたが、誤って投げ槍でこの牡鹿を殺してしまった。少年の嘆きの深さには、アポロンの慰めも効果なく、とうとう永遠に嘆き続けていたい、とその姿を糸杉に変じてしまう。ふたつの悲しい愛を語る神話は、19世紀フランスの新古典主義の絵画によく取り上げられた。ここでは、牡鹿にもたれるように斃れたキュパリッソスの頭をそっと支えるアポロンの姿が描かれる。当時のフランスで神話画と宗教画に加え、ブルジョワ階級の肖像画で人気を博した画家の作品は、ともに筋肉を感じさせず、女性的ともいえるなめらかな肌に描かれたふたつの身体と同性愛の主題は、現代のBLの先取りとも……?
フランソワ・ジェラール 《アモルとプシュケ》、または《アモルの最初のキスを受けるプシュケ》 1798年 パリ、ルーヴル美術館
Photo © RMN-Grand Palais (musée du Louvre) / Tony Querrec / distributed by AMF-DNPartcom
その美貌を女神ヴィーナスから嫉妬され、呪いの神託を下された王女プシュケ。彼女に恋したアモルは、美しい宮殿で、自分の姿を見ることを禁じて夜だけ共に過ごすという生活を始める。ある晩、プシュケは横で眠る夫の姿を見てしまい、怒ったアモルは飛び去る。悔恨とともにさすらいの旅に出た彼女は数々の苦難を乗り越えてアモルと再会、天界で結婚式を挙げる。古来、美術に表されてきた物語は、18世紀末には神の愛に触れた人間の魂が試練を経て幸せを知ると解釈され流行した。新古典主義の画家ジェラールは、アモルがそっとプシュケの額に口づける瞬間をみずみずしい姿に描く。アモルが見えていないようなプシュケの表情や成熟しきっていない身体に、批評家たちは、はじめて愛を意識した無垢な少女の驚きを読みとる。ロマンティックで美しい情景は物語や意味を超えて、現代でも見る者をきゅんとさせるだろう。プシュケはギリシア語で「蝶」と「魂」を意味し、彼女の頭上を舞う蝶がそれを示している。
アリ・シェフェール 《ダンテとウェルギリウスの前に現れたフランチェスカ・ダ・リミニとパオロ・マラテスタの亡霊》 1855年  パリ、ルーヴル美術館
Photo © RMN-Grand Palais (musée du Louvre) / Michel Urtado / distributed by AMF-DNPartcom
14世紀のイタリアの詩人ダンテの叙事詩『神曲』は、19世紀前半のフランス、ロマン主義の時代に流行する。なかでも「地獄篇」にあるパオロとフランチェスカの悲恋は人気が高かった。政略結婚によりリミニの城主に嫁いだラヴェンナ城主の娘フランチェスカは、夫の弟パオロと恋に落ち、それを目撃した夫によってともに殺される。悲恋は同時に不貞であり、ふたりは永劫に地獄をさまようことになる。ウェルギリウスに案内されたダンテは地獄でこのふたりの姿を見るのだ。ロマン主義の画家シェフェールはしっかりと抱き合ったまま地獄の風に吹かれるふたりの姿を闇のなかに浮かび上がらせる。闇のなかでそれを見つめるダンテとウェルギリウスの切ない表情にも注目。シェフェールはこの主題に早くから取り組み、いくつかのヴァージョンが遺る、そのうちの一作。

 第4章「19世紀フランスの牧歌的恋愛とロマン主義の悲劇」では、ルーヴルの代表作で愛の表象の変化をふたつの潮流に感じる。
 そこには、社会の大転換により、「個」の意識が芽生えてきた近代の姿も浮かび上がってくる。

ウジェーヌ・ドラクロワ 《アビドスの花嫁》 1852-1853年頃 パリ、ルーヴル美術館
Photo © RMN-Grand Palais (musée du Louvre) / Franck Raux / distributed by AMF-DNPartcom
19世紀ロマン主義を代表するドラクロワは、当時流行していたオリエンタリスムの文脈で、異教徒の愛をドラマティックに描き出す。イギリスの詩人バイロンの叙事詩「アビドスの花嫁」に基づく本作は、オスマン帝国時代のパシャ(高官)の娘ズレイカとその兄(実は従兄)で海賊の首領セリムの悲劇から、政略結婚を控えている娘を取り戻そうとした父が派遣した軍隊により追い詰められたふたりの姿が描かれる。死を覚悟で応戦しようとするセリムをズレイカが必死に引き止めている。後世の画家たちを魅了した豊かな色彩と筆跡も感じられる勢いのある筆致で表された緊迫感に引き込まれる。
「ルーヴル美術館展 愛を描く」第4章 展示風景から

 それぞれの時代、さまざまな愛が、西洋の視覚表現に残されてきた。
 現代の道徳規範や価値観から見ると批判の対象になるものや、あるいは時代を先取りしているものもあるだろう。
 それでも変わらないのは、人間の感情としての多様な「愛」の存在であり、それを表す表現者とそれを享受する見る者の営為だ。まさに芸術を「芸術」たらしめる愛の強さを時代の空気とともに名画たちに感じたい。

展覧会概要

「ルーヴル美術館展 愛を描く」 国立新美術館

新型コロナウイルス感染症の状況により会期、開館時間等が
変更になる場合がありますので、必ず事前に展覧会公式サイトでご確認ください。

国立新美術館
会  期: 2023年3月1日(水)~ 6月12日(月)
開館時間:10:00‐18:00(金・土曜日は20:00まで) 入場は閉館の30分前まで
休 館 日:火曜(5/2は開館)
観 覧 料:一般2,100円、大学生1,400円、高校生1,000円
     中学生以下無料
    障害者手帳持参者とその付添者1名は無料
問 合 せ:050-5541-8600(ハローダイヤル)

展覧会ホームページ https://www.ntv.co.jp/love_louvre/


巡回:京都展 京都市京セラ美術館 2023年6月27日(火)~9月24日(日)

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