新橋演舞場開場100年の年に
今年(2025年)は、新橋演舞場が開場して100年。5月下旬には新橋芸者による発表会「東をどり」の100回記念公演(5月21日〜27日)も盛大に行われた。
この100年という節目を機に、銀座の街、そして新橋演舞場と深い縁のある資生堂は、32年ぶりに新たな緞帳を寄贈したことがニュースになった。
東をどり開催前の5月19日には、新緞帳は、神職により清め祓い、贈呈するという「修祓式」が無事執り行われ、東をどりでお披露目された。

披露された緞帳は、「舞」と題された躍動的であでやかなデザイン。伝統を重んじながら大胆に美しいものを生み出してきた資生堂のクリエーションが、見事に表現されたものだった。
新緞帳制作のプロジェクトが始動したのは2年前のこと。資生堂の広告宣伝やパッケージデザインなどを手掛ける資生堂クリエイティブ株式会社内でデザインコンペが行われ、アートディレクターの佐野りりこ氏による、この「舞」をモチーフとしたデザインが選ばれた。思い描いたコンセプトは、日本舞踊の動きによる美しい曲線。これを強大な緞帳でしなやかかつ大胆に表現するというものだった。
モーション・キャプチャーで捉えた「舞」の曲線美
「舞」の動きが描く曲線を実際のデザインに取り入れるために、一流舞踊家たちの力も借りた。尾上流四代家元・尾上菊之丞の振り付けにより、歌舞伎俳優の中村隼人が、頭、扇の先から爪先まで全身六十ヶ所以上にセンサーをつけて何度も踊ったという。プロの身体が描き出す複雑で多彩な動きは、モーション・キャプチャーで細かく記録され、この記録をもとにデザイン制作作業がすすめられた。

「曲線の美」を追求するという姿勢は、資生堂の伝統でもある。長年、デザインを担当する部署では、曲線部に特徴のある書体「資生堂書体」を自然に描くことができるよう、今も新入社員たちは、毎週与えられた課題をこなしているという。
200色以上の糸で織りなした、幅23メートルの立体的なきらめき
出来上がったデザインをもとに緞帳の制作にあたったのは、呉服から室内装飾まで幅広く手掛ける日本を代表するテキスタイル会社、川島織物セルコン。今まで2000本以上もの緞帳の制作を行ってきた、緞帳のエキスパート集団だ。
織物は、もとより縦糸、横糸の交差により構成されるもの。この緞帳「舞」は、曲線のデザインがその持ち味であり、その滑らかな線を縦糸と横糸で美しく描き出すのは難題であったという。長い時間と試行錯誤を重ね、彼らが長年培ってきた独自の技術とセンスで、驚くようなしなやかな曲線の世界が表現された。


川島織物セルコン営業開発本部主幹の森本直樹氏によると、曲線部の赤は、この緞帳のために新たに染めた白、朱、赤をグラデーションにした200色以上の糸で構成。地色も、黒、紺、濃い紫、光沢糸を織りまぜて、暗がりの中でも揺らぎを感じるような色調を演出し、照明の当たり方によって、緞帳の見え方が自在に変わってみえる。

場内の最前列まで進み、間近からこの緞帳をじっくり見てみると、赤色の曲線と、黒の地色のグラデーション、その地色に入った銀の煌めきや織物としての、その立体感に驚くはずだ。
幅23メートル、高さ8.5メートルの緞帳は、京都・市原事業所の24.2メートルまで織れるという織機で、繋ぎ目なしで織り上げられた。
資生堂と新橋芸者との縁をつなぐもの
資生堂と新橋芸者とのゆかりは明治に遡る。明治35年(1902)、資生堂は、銀座の資生堂調剤薬局内にソーダファウンテン(のちの資生堂パーラー)を設けるのだが、そのお客さまの中心は新橋の芸者衆だった。三味線や踊りの稽古の合間に一息つく芸者衆のために、店内には三味線置き場も設けられていたという。

新橋演舞場は、その芸者衆が芸を発表する「東をどり」の場として、大正14年(1925)に建てられた。長きにわたって銀座の街とともに歩んできた両者の縁は続き、昭和57年(1982)、現在の演舞場落成時には、日本画家の下田義寛が描いた椿花柄の緞帳を、そして平成5年(1993)には、当時最先端のコンピュータグラフィックスでデザインされた緞帳「光彩」が寄贈されている。
今回、緞帳のデザインを担当した佐野氏は、通常の業務では広告デザインを担当している。日々、短いスパンで入れ替わっていく広告デザインの世界と違って、今回、長い期間にわたって、さまざまな人の目に触れる「緞帳」というものを担当できたことは貴重な経験だったと振り返る。

私自身がこの新橋演舞場で初めて舞台公演を観たのは、20代半ばのことで、父と一緒だった。演目は江戸川乱歩原作、三島由紀夫作「黒蜥蜴」(平成2年)。主演は松坂慶子だった。
演舞場に向かうタクシーの中で、昭和一桁生まれの東京っ子である父は、タクシー運転手氏と、昔の演舞場は煉瓦造で趣きがあったという話で盛り上がっていた。車が劇場に到着―すると、その運転手氏も「でもほら、今度の演舞場もその名にふさわしい立派な劇場ですよ」と、私たちを車内から送り出してくれたことを今も記憶している。
その後も私は、「仮名手本忠臣蔵」の通し狂言や、先代猿之助のスーパー歌舞伎「ヤマトタケル」など、演劇史に残る名舞台の数々をここで観た。
そして演舞場と言えばやはり「東をどり」。毎年春先になると、日程や演目が発表されるのをいまも楽しみにしている。

緞帳は、海外の劇場には見られない、日本独自の劇場文化である。開演前には、これから始まる、非日常の世界へといざない、観客の期待を高めてくれる。そして公演後には、さまざまな舞台の余韻や感情を静かに受け止めてくれる存在だ。
クリエイター、舞踊家、歌舞伎俳優、織り手、そして寄贈者の資生堂の思いが結実した新しい緞帳。最新テクノロジーとキラキラとした感性を秘め、今後も長きにわたり、東をどりはじめ、この演舞場で上演される歌舞伎、演劇、ミュージカルなどのさまざまな舞台を彩り続けていくことになるだろう。