ふりむかない
猫がふりむくとき、

それは……、

たとえば背中が痒いとき、それから、

自分への強い視線を感じたとき……ぐらいかな。
たいていは、名前を呼ばれてもふりむかず、

呼ばれなくてもわかってるよ、とでもいうように、
前ばかり見ている……気がする(あくまで個人的見解)。
興味ある対象物を見かけたときも、まずは観察。

ひとたび「好き」と感じたら、脇目もふらずに駆け寄っていくし、

「遊ぼう」、「何かちょうだい」のおねだりも、
じっと目を見て訴える。

歩くときも真剣そのもの。


ただ前だけを見て、

次なる行動に集中。


ふりむかない。
それはしっかり前を見て、
未来へつながる、今この瞬間を生き切ること。
その積み重ねが、ときに大きな飛躍を実現させるのかもしれない。

猫から教わる、「ふりむかない」極意。

今月の言葉
「ふりむくな
ふりむくな
うしろには夢がない」
(寺山修司「さらばハイセイコー」より)
18歳で歌人として文壇デビュー。その後劇作家、演出家として活動するかたわら、多彩な才能を発揮して、詩や評論、小説、映画、写真など、さまざまなジャンルで縦横無尽の活躍を見せた寺山修司。「本業は?」と聞かれた際は、「職業は寺山修司です」と答えたという。自身でも、自分は何者かについて、エッセイで説明を試みている。詩人、ボクシングファン、競馬狂、ジャズマニア、ブリジット・バルドオ・ファン、青森県人、地球人……。さまざまな言葉を列挙するものの、どれ1つをとっても「これがおまえだ」と言われて否定できないし、「これこそわたし」といった感じも持てないと、微妙な胸の内を明かしている。ある意味、その47年の生涯は、媒体というジャンルの垣根を飛び越えて、虚実入り混じる数多の言葉によって、捉えようのない自身を表現した寺山物語だった、とも言える。
昭和10年(1935)、青森県弘前市に生まれた寺山は、幼くして父を戦争で失った。やがて、母とも別居。当時13歳の多感な少年は、映画館を経営する母方の大叔父夫婦の家に引き取られ、映写室の隣の屋根裏部屋で暮らすことになったという。
そんな寺山が最初に親しんだ文学表現が、俳句だった。中学時代は、校内の文芸部の部長として俳句や短歌、童話などを発表し、高校時代も新聞部・文化部に所属して、「山彦俳句会」を設立。3年生のときは俳句研究社の後援を得て、全国高校生俳句コンクールの主催まで行ったという。当初こそ、父母が不在という現実を「一」という言葉に凝縮させ、孤独感が滲む作品を数多くつくった寺山だが、次第に仲間を得て、創作に邁進。のちに炸裂する寺山ワールドは、この「亡(ほろ)びゆく詩形式」と自身が表現した俳句の世界に影響を受けながら、故郷青森の地で形成されていったのだ。
人生の転機となったのは、昭和29年(1954)、18歳のとき。早稲田大学入学を機に上京し、ほどなく『短歌研究』の「第2回作品50首募集」で新人賞を受賞した寺山は、人生まさにこれからというときにネフローゼを発症し、4年間の療養生活を強いられた。一時は面会謝絶になるほど病状が悪化し、大学も中退。だが、その病が癒えてから、疾風怒濤の活躍が始まった。友人の谷川俊太郎のすすめでラジオドラマを書き始め、民放大会連盟会長賞を受賞。その後、演劇実験室を標榜する前衛演劇グループ「天井桟敷」を主宰し、従来の演劇や常識にとらわれない作品を世に問い続けた。私生活では27歳で結婚。だが、7年ほどで離婚し、以後は一所不在のアパート暮らしを続け、創作三昧の日々を送ったという。
常に何かを考えていないと気が済まず、「休んでいることは罪悪」とばかりに全力疾走で人生を生きた寺山は、一方で、死を身近に感じながら過ごしていた。実はネフローゼを発症した際に、洗練された良い血液がなく、自身も承知の上で、やむをえず「悪い血」を輸血しなければならなかったことから、退院時に医師から、長生きできないと言われていたという。
「言葉にでもしないと、堪えきれないことだってある」──。晩年、寺山は肝硬変の症状が現れた際にこう語ったという。死の半年前に刊行された書籍のあとがきにも、「気の利いた『言葉』は、それ自身で、友人になることもある」と書いている。どんなに忙しくても、仕事を抱えていても、ちょっと時間があると書きものをしていたという寺山にとって、言葉は自分の抱える暗い影を照らし、ときに支え、導いてくれる存在だったのかもしれない。
言葉の錬金術師、寺山が遺した言葉の数々は、まさに「世界全部の重さと釣合う」もの。どんなに短い文章にも、人を惹きつける強い力を宿している。
今週もお疲れさまでした。
おまけの1枚。
(ふりむかないが、休息はたっぷり)

堀内昭彦
写真家。ヨーロッパの風景から日本文化まで幅広く撮影。現在は祈りの場、祈りの道をテーマに撮影中。別冊太陽では『日本書紀』『弘法大師の世界』などの写真を担当。著書に『ショパンの世界へ』(世界文化社)、『おとなの奈良 絶景を旅する』(淡交社)など。写真集に『アイヌの祈り』(求龍堂)がある。
堀内みさ
文筆家。主に日本文化や音楽のジャンルで執筆。近年はさまざまな神社仏閣をめぐり、祭祀や法要、奉納される楽や舞などを取材中。愛猫と暮らす。著書に 『カムイの世界』(新潮社)、『おとなの奈良 心を澄ます旅』(淡交社)、『ショパン紀行』(東京書籍)、『ブラームス「音楽の森へ」』(世界文化社)など。