内務省警保局図書課による『出版警察報』

発禁本に見る魂の叫び

カルチャー|2024.10.1

そもそも「発禁本」とは?

「発禁本」という言葉に、なにやらいかがわしいものを感じてしまう人は多いだろうし、即座にポルノグラフィを想像する人もいるに違いない。実際、1960年代後半に週刊誌や新書などでちょっとした話題になった「発禁本」とは、そうした大衆の好奇によって一般に浸透していったことはまちがいない。しかも戦後における「発禁本」と言われるものの大半は、刑法175条によって猥褻文書・図画とされたものであったことも事実だ。だが、厳密に言うなら、戦後は事前検閲制度による発売禁止という行政処分はなくなり、刊行された後に摘発され、猥褻罪によって司法処分が下されたものである。にしても、猥褻本も権力の手によって、発売を頒布を禁じられ、弾圧されていった書物であることには変わりない。

第1章「明治 近代の中の受難」の見開き。右下は、明治以来の発禁第一号の「諷歌新聞・巻第一」(明治元年)

水子のように流され誕生しえなかった書物

言論および出版の自由を縛ってきた戦前のさまざまな法令とは、「出版法、新聞紙法、治安維持法、国家総動員法、新聞紙等掲載制限令、新聞紙条例、言論出版集会結社等臨時取締法、戦時刑事特別法、国防保安法、軍機保護法、不穏文書取締法、軍用資源秘密保護法」などであった。
出版物はすべて事前に内務省に納本し、検閲を受けなければならなかった。国家や権力に都合の悪い出版物は、削除や発売禁止の処分を受けていったのだ。主にそれは政治や思想に関わる安寧秩序を乱すという罪、性にまつわる風俗壊乱の罪の2つに大別することができる。アナキズム、国家社会主義、共産主義といったさまざまな思想が禁止され、猥褻もまた、国の基である国民の風紀良俗を乱すという理由で、圧殺されていった。「発禁本」とは、そうやって、生まれるとまもなく、あるいは水子のように流され誕生しえなかった書物のことなのだ。

第2章「大正 モダンとデモクラシーの裏側」の見開き。中央は、ゾラ著・関口鎮雄訳『芽の出る頃』の削除改訂版(大正12年)

無私の情熱に支えられた城市郎の蒐集家魂

この「発禁本」という書物の存在を、広く世に知らしめたのが、発禁本コレクターにして研究者の城市郎であることはまちがいない。〝発禁本〟の城市郎は1965年の『発禁本』(桃源社)を皮切りに『発禁本百年』『禁じられた本』『禁じられた珍本』『発売禁止の本』など多くの本を出し、マスコミにも大きく取り上げられていった。ブームのようなものが過ぎた後も、コレクションは増え続け、そうした蒐集や研究の成果を私家版や限定本の形で発表し続けた城市郎の仕事は、無私の情熱に支えられていたといってもいいだろう。営々と続いてきた日本の出版物の歴史の中で、闇に葬り去られていった多くの本へこのうえもない愛情を注ぎ、コレクトし、まとめ、紹介していくという割の合わない仕事は、本そのものへの愛情なくしてはできなかったに違いない。

[左]城市郎氏。平成15年3月、自宅書斎にて。 [右]昭32年頃に購入した値札がついた発禁本。

一冊の本に秘められた事件や歴史

時にはいかがわしい色物としてマスコミに消費され、エロ本のコレクターとそしりを受け、それでもコレクトへの情熱を失わず、研究、紹介を続けてきた理由は、本が好きだという至極単純な、確信でしかなかったのかもしれない。反逆する魂への共感と圧殺されていった書物への愛は、だが、その終わることのない完集への情熱となり、集め続けられた「モノ」は圧倒的な存在感を示す。一万数千冊に及ぶ膨大なコレクションは、言葉以上に雄弁に語りかけてくる。一冊の本に秘められた事件や歴史が、その苛酷な運命への叫びが、そして怒りや悲しみが、そこにはまた、コレクトされてもいるのだ。彼にはそうした本の声が聞こえていたに違いない。人が本をセレクトしていくように、また、本も人を選ぶのだ。
(文=米沢嘉博/「別冊太陽」発禁本の世界 巻頭言「発禁本大集成──出版文化 闇の扉を開く」より抜粋)

発禁本の世界 城市郎コレクション 明治・大正・昭和の禁断の出版史

明治期から戦時下、当局の検閲にて発売頒布禁止の処分を受けた「発禁本」。その蒐集家として知られる城市郎のコレクションを開陳!
詳細はこちら

RELATED ARTICLE